付箋紙に1日1枚何かを書くことで何かしら継続する習慣をつける活動「sticky50」に、8月から12月にかけて挑戦した。
今回は挑戦までの経緯や雑感を改めてまとめてみた。
 

お絵描きのリハビリの必要性を認識

前々から己の作画の不味さを気にしていて練習しようしようと思っていたのだけれど、それ以前に「手が完全に作画の行為を忘れている」 状態だった。根本的にワンカットのイラストを描くことができないのだ。
他人様から仕事で「イラストが必要だから描いて」と頼まれたら躊躇なく外注するけど、必要に応じて自分のために描くことができない。これが悔しかった。
ちょっとしたカットくらいはサラサラ描けるようにと、これまでも例えばSNSのプロフィール画像やカバー画像を1ヶ月に1度更新したり、イラストブログをやろうと準備したり、あの手この手を策を講じていたが、成果は芳しくなかった。
ところで、ノルマのサイクルどうして1ヶ月に1度にしたのかというと、システム開発に専念している時期など「半年にいっぺん描けばラッキー」くらいの時期もあったからだ。忙して描けないのではなく、私の場合はシステム設計している頭と自由な図像を思い描く頭との頭の切り替えが瞬時にできなくて描けないからだ。それで「継続性を考慮したら、先ずは1ヶ月に1度」となった。

1ヶ月に1度程度、しかも自分の似顔絵ばかりでは気休めにしかならない自覚はあった。他との兼ね合いを考えると無理が出るようなことはしたくなかったが、もっと効率良くやれる上手い方法は無いものかと考えていた。それでsticky50を知った時に「なんだ、付箋紙程度のサイズでも良いんだ」と気付いた。枚数(リミット)も決まっていたのも良く、「とにかくここから現状の打開を図ろう」と始めた。

そもそもリハビリが必要なほど「描けない(画力がない)」のか?

プロフィール画像などを見た周囲から「プロではないのか?十分上手い」と言われることもある。
でも、私自身ではそもそも絵が上手いと思っていない。画力の話を始めるとキリがないので、参考までに過去の仕事のデータを上げる。目のデザイン違い3案提出して、中央2つが採用された。

上手いのかもしれないけど「まずまず無難」なだけだろう。ずっと描いて描いて描きまくっている人に比べたらお粗末極まりない。おまけにデザインが凡庸だ。個性(癖)が薄い。私(とが)が描いたと言われてもいまひとつ分かりにくい。無個性は数名から指摘されたこともあるが、私自身も結構気にしている。
それで、私の絵を見て「絵が上手い」と表現するのは、おそらく技術的に巧みであることを褒めているのでなく「他に褒め言葉がない」だけだろう。凡庸で無個性な絵を「上手い」と言われても、正直複雑な心境だ。
ただ、仕事では個性がないことを重視されるケースも多い。実際、私の個性の無さから「何色にも染まれる」期待を持って発注してくる人は多い。例えば、他人の作品そっくりのタッチの作品を依頼されることはままある。なんで無個性=物真似上手と考えるのかは分からないが、依頼はある。それはさておいても凡庸=無難=大衆(公共系)に使いやすそう、などと存外ニーズがある。ただし、私のように個性が薄い受注側も大勢いる。そうなると、仕事を取るため、描く速度の速さ、対応力の高さで競争に勝たなければならなくなる。要するに無難なものを期待される市場というのはレッドオーシャンだ。そこで私は「品質が拙く、納品が遅い」という、生存競争の激しい場で不利な系統だから、根本的に仕事にならない。
それでも時々依頼が来なくもない。その殆どは「プロに頼めないから貴方に頼んだ(遠回しの素人って言われたぞw)」とか「著作権は放棄して下さい(しかも単価は安い)」とかいう案件で、精神の消耗が半端ない。ゆえに体力のない現在は受けたくない。

現在の優先順位との兼ね合い

それから、身体は一つなので一度にできる活動は限られている。なので、極力、その時その時注力したい物事に絞るようにはしている。
結果、現在、イラスト・漫画などに対する優先順位が低い。作画の仕事を請けたら他の作業に支障が出る。だから請けない、というのもある。
けれど、漫画もイラストも、ずっと描いていない人がいきなり「描きたい」と言って簡単にできるものではない。ブランクがあっても一定水準以上の物を産出できる人もいるけれど、それは「身体に染みついているから」できることであって、ずっとなにもしていないからではない。
私はブランク期間を作っても大丈夫なほど作画技能が身体に染みついていない。だから本当は身体が覚えるまで集中して描き続けなければならない。作画に対する優先順位が低い現在は、「身体が覚えるまで訓練するための、準備運動」を習慣づける時期だと思っている。現在のの活動と作画練習の優先順位の割り振り方にイチャモン付けてくる人をしばしば見かけるが、私の人生は私が決めることなので大きなお世話である。

sticky50を実際にやってみて

勢いで始めたものの、とにかく最初は何を描いたら良いのかわからなかった。
普段から描いている頃も「私らしい作風」迷子だったのもあって、描いていない現在は尚のこと真剣に困った。
20枚目くらいまでは今までやっていた作戦をどんどん投下していったのだけど、描けないのだ。お題はあるのだけど、具体的な図像が浮かばず表現できないのだ。


アイデアにしても、「とにかくどんどん出す」習慣のない私が無い知恵を絞っても上手く行くわけがない。赤ちゃんを産んでいない人に「毎日母乳を1リットル出せ」とか、普段から家にこもりきりでジョギングすらしてない人に「今日から毎朝起きてすぐに50m走1回6秒台で10セットやれ」って言うようなものだ。
それで、他人の真似をして一発描きをせず「多少なりともラフを考えたり下書きをして描こう」と決めてから楽になった。
私は私のやり方でやる。とにかく描くことの方が重要だ。日記っぽいものを題材に選ぶようにして、とにかく背伸びせずに描けるものを描くように心掛けた。
時間はかかるけれど前よりは筆をとる前段階で苦しまなくなり、48、9枚目で「準備運動を済ませてようやく身体が温まってきた。ここからが本番!」という感じになって、51枚目から80枚目まで休み休み続く。


まとめ

作画についは、まだまだ描く量が圧倒的に足りていないことを痛感した。
個性云々はもっともっと数をこなしてから気にすることであり、現状の評価は現状の評価として甘んじて受け止める。

それから、久しぶりに落書きを描き続けていたら、絵を描く楽しさを思い出せた。やっぱり描くのは楽しい。今回は描く楽しさを思い出すところ止まりだったけれど、ここからアイデアをどんどんアウトプットする習慣に繋げて行くと、作画だけではなく発想のスピードアップにつながると感じた。どんどん発想を展開させていって、どんどん作品を作りたい。ただし、精神的にも肉体的にもきちんと制御(健康管理)できないと気持ちだけが先走って失敗すことになるので、そこには注意したい。

とにかく、今回の企画への参加によって小さく少なくても継続することが大事であると再認識した。今後もこのような作業を地道にこつこつ鍛錬を続けていく所存だ。